信仰ラインのお話の最後に、もうひとつの朱雀池のことを付け加えます。高岡に残る 「紅屋の光釜伝説」に出てくる泉のことです。光釜とは、泉の名前。その伝承地は、六渡寺から高岡城までの距離と、ほぼ同じ距離を南にまっすぐ進んだところにあります。
「紅屋の光釜伝説」は、次のようなお話です。
市野瀬から北へ約1キロメートルのところに、紅屋の地名がある。紅屋というのは、この辺りに紅染めを生業とするものがあったからであろうか。
そこには、昔、直系5メートルほどの大きくてとても深い泉があった。泉からは、美しい水が尽きることなくこんこんと湧き出して、底の底まで澄み渡っていた。
この泉の側には大寺があって、おかるというかわいらしい娘が下働きをしていた。おかるは、気立てがよくて、働き者だったので、皆に好かれていた。
ある朝の事、おかるは早くから泉に釜を洗いに行った。ごしごし力を込めて釜を洗っていると、どうした弾みか、釜はおかるの手から滑り落ち、深い深い泉の底に沈んでしまった。そして、とっさに手を伸ばしたおかるの体も、釜といっしょに泉に落ちていった。おかるは、それきり戻らなかった。村人たちが、泉をのぞいてみると釜が、水底できらきらと光っている。そして、よく目こらして見ると、なんと一匹の蛇がぐるぐると巻きついて釜を守っているではないか。
「あの蛇は、おかるにちがいない。」
村人たちは、それから、この泉を『光釜』と呼ぶようになった。蛇となったおかるは、城端の山中にある縄が池の竜神様の女房となった。光釜の泉と縄が池は、水脈がつながっており、おかるは年に一度、夫の龍神に会いに縄が池まで行くという。
光釜にあった大寺は、前田利長公の高岡入城の時に、召し寄せられて木町に移り、光釜山西大寺と号した。西大寺では、今でも祠堂経をあげる日には、真夏の晴れた暑い日にもかかわらず、本堂の柱の一本から、いつも決まって水が一筋スーッと滴り落ちてくるので、
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高岡古城図(玉川図書館)一部 天保6年(1835)写し
開町当時小矢部川と千保川の合流点は木町の側にあった |
「今年もまた、紅屋から龍が参りにきた」と人々は 話し合っているという。
光釜ゆかりの寺が移転した木町は、高岡の町が開かれた時、最初に作られた町でした。木町の箇所は、千保川と小矢部川の合流地点であり、水路と守山城下町と高岡城下町をつなぐ道との交差地点でもありました。そうした、交通の要所に、富山木町と守山木町から、商人たちを集めて、木町は町立てされたのです。
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木町の浜から見た二上山
安政3年(1856)俳諧多摩比呂飛より
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利長は、木町町人に河川輸送の独占権を与えて優遇しました。木町の人々はこの利長の恩を忘れることなく、今日なお、その命日に利長親書三通を神前に供え「御書祭り」行っておられます。
開町当時、高岡城築城への木材・石材の集荷場として、築城普請の最も重要な拠点であった木町に、紅屋の光釜の側に建っていた西大寺は寺領1500坪を与えられ移転したのです。
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かつては渡海船が着岸したという木町の浜。地元の人たちは、今でもかつての船着場を「浜」と呼んでいる。浜に下りる当時の階段がまだ残っている。 |
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木町の光釜山西大寺
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西大寺は、浄土真宗寺院であり、御住職は、南北朝の時代、越中守護職であり魚津松倉城の城主であった、足利一門の武将 桃井直常の子孫にあたられるとのこと。
今も「桃井」の姓を名乗っておられる。 |
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小塚淡路宛前田利長書状(木町神社所蔵)
木町の川柵を作り替えるための
木数865本分の代銀216匁を
ただ今遣わすので、木町へ渡してほしい。
褒美に銀を5枚遣わす。頼むぞ、淡路。 |
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御書祭りが行われる木町神社は
西大寺の隣 多数の古文書を所蔵
「続海事史料叢書 第9巻」(日本海事史学会 編)に文書や記録及び絵図の大部分を収録。 |
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さて、西大寺の旧地「紅屋の光釜」は、今でも名水といわれる湧き水が豊富に湧き出すところです。名水井戸と称する湧き水がいくつもあるほか、豊富な水量を利用した健康ランドや、水道局佐野水源地も光釜の近隣です。これは、加賀の白山に水源を持つ白山水系の伏流水が、ちょうど光釜の辺りで自噴していることによります。
高岡には、この良質で豊かな湧き水を利用した特産品があります。
その名も「高岡の水」。
なんのひねりもないけど、覚えやすいです。
「高岡の水」は、佐野水源地の水道原水(地下水)を加熱殺菌したものです。通常の水道水は、水道法で塩素滅菌が義務付けられていますが、この「高岡の水」は薬品処理が一切なく原水の美味しさがそのまま詰められています。
ミネラル分がバランスよく含まれ、こくとまろやかさを備えたおいしい「水」です。これ、高岡市水道局が水道通水70周年を記念して発売した商品なんですよ。お茶やコーヒーには最適だといって、県外から注文されるお客様も多いそうです。また、「高岡の水」で炊いた御飯は、一味ちがうんだとか。
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高岡の水缶詰
(ペットボトルタイプもあり)
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水道局佐野水源地
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光釜近隣の自噴水
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光釜の周辺を散策し、自噴井戸から勢いよく美しい水が流れ出しているのを見るにつけ、また、周囲一面に広がる水田で、名水に培われた稲が青々として風に揺れている様子を見るにつけ、光釜こそが高岡の朱雀池との確信が深まりました。ここに、間違いない。
そして、今日なお、高岡の朱雀池パワーは健在です。
さらに風水の絡みで申せば、「光釜」の紅屋の地名の紅は、「朱雀」の色である「赤」とも結びつきそうですね。ちょっと、こじつけがましいかな。
「朱雀の赤色」といえば、私、この地ですごいものを見つけました。右の看板です。
さすがの長兵衛もこれには思わず絶句。
名水赤卵? ひかりがま農園?
なんじゃ、そりぁ。
「赤」は赤でも赤卵。
「朱雀」じゃなくって、鶏かぁ?
実はこの卵、ここ紅屋の光釜の特産品で、おいしいと大評判の卵なんです。卵の殻が、赤茶色で、黄身が普通の卵より少し赤味を帯びているので、赤卵と呼ばれています。
ひかりがま農園の鶏は、毎日光釜の名水で育っているので、産む卵だっておいしいというわけです。それから、卵を割ってみますと黄身の部分が円くこんもりと盛り上がり、弾力性に富んでおり、栄養がたっぷり詰まっているのがよく分かります。
さっそく買って帰りまして、「高岡の水」で炊いたほかほかのコシヒカリに、ひかりがま赤卵をかけ、地元某社のヤマゲン醤油を垂らして食べますと、そりぁ、もう、天にも昇るほどのおいしさでした。
まぁ、腹が減っていたのもあるんですがね。
また、ケーキ職人さんやレストランのシェフにも、この赤卵の愛用者は多く、はるばる遠くからも買いにこられるそうであります。
うーん、赤卵のこの集客力。これって、風水パワーなのかな。
やはり、光釜は、信仰ラインの南、もうひとつの朱雀池として申し分はないようです。
「高岡の水」と「ひかりがま赤卵」で、ぜひあなたも風水パワーを得てください。明日の健康は間違いないでしょう。それから、お醤油のほうもどうかお忘れなく・・・・。
問い合わせ先
今回の高岡風水のお話は、今辺で、続きは「ぶらり高岡、風水散歩」という企画で改めてお話します。霊験ライン、紹福ライン、そして鬼門のお話とまだまだお話したいことは、たくさんあります。今回で、「古城万華鏡」は終了しますが、引き続きご愛読をお願いします。 |